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日常生活での出来事の中で得る学びについてブロってます。ちょっことだけMY BESTも含みます。

吉濱ツトムさん②才能の価値を見出せない

前回に引き続き、吉濱ツトムさんの「なぜ才能の価値を見出せないのか」については、今回も共感することを話されていて、それを体験してみるてとても良かったので、自分の思いも織りまぜながらまとめてみました。直ぐに実践できる内容になっていますので、この問題に直面している方がいらっしゃれば、お勧めします。また、これを読んで共感してくださったり、励みや勇気になったと思っていただければ幸いです。

※太文字で書いている部分は吉濱ツトムさんが述べていらっしゃる部分になります。

前回のおさらいは才能を発見するには二つの方法があるという事

  1. 才能の特徴を知る
  2. 才能に対しての誤解を解かなければいけない 

「①才能の発見の仕方」についてはこちらから↓

reborn1001.hatenablog.com

こちらが今回のテーマ動画です↓

youtu.be

才能への誤解を解く

なぜなら、才能を見つけたとしても、世間一般が「才能に対して持っている認識」「才能の本来の真実」は大きく違うということ。

才能に対して持っている認識

質問です。才能って価値がありますか?ありませんか?」大半の人は「あります」と答える。しかし、実は自分にとって才能って全く価値を見出せない、あるいは才能って特別だと思っている。では、「才能って自分の得意な分野で誰もが持っているのか?持っていないのか?」大半の人は「…なんとも言えない」と答える。基本的にはその才能っていうのは、誰もが持っているんだけども、実は自分が持っている才能に対して人は誰もが価値を見出すことができない。なぜかと言うと、生まれた瞬間から当たり前に持っているから。基本的に人は後天的に何かを与えられるとこれはすごいものだと思う。しかし、生まれながらにそれがあるとすごいということが分からない。大半の人は才能に対してこちらの考えで捉えているので、才能を否定してしまうことがあげられる。

吉濱ツトムさんの質問のお話を聞いて、確かに「才能」って稀にあるもので、誰もが与えられているものではなく、それ故に価値があるものだと思い込んでいました。でも本当は、生まれた瞬間に誰もが平等に与えられているモノ=才能なので、そこに気づかないで過ごしているということです。なぜなら、当たり前だからです。誰かに教えてもらったわけでもなく、自分一人で当たり前にできるからです。出来ていることに違和感がわかないのです。しかし誰かに何かを教わり、それが体得できると、出来なかったことが出来るようになり、たちまちそれがすごいことのように感じてしまうのです。一方、先天的に出来ていること、具わっていることが簡単にできてしまうと、出来ない人からすればすごいという印象をもたれますが、本人はそのことに対して誰にでもできるよと考えてしまったり、否定してしまうという発想になってしまうのです。そしてそういう考え方をしているのは、大半の人にみられるということです。

例えば、日本社会で言ったならば、電車の定時発着。これは日本人なら当たり前のこと。でもこれは、世界の軌跡。これが後進国だったらわかるのだが、アメリカ、ニューヨークでも10分、20分遅れる。イタリアに(吉濱ツトムさんが)行ったときは、電車を待っていたならば、30分遅れてようやく来た。するとみんなが拍手する。何の拍手だ?と思ったら「今日は30分しか遅れなかった」の拍手。また、日本が電車を海外に売るときに、みんな驚愕したのが「え?定時発着なんてできるの?」となる。それほど日本の定時発着って世界の軌跡。しかし、それがすごいと思っているかというと誰も思っていない。むしろ2分、3分遅れただけで発狂する。これは、生まれた瞬間から定時発着が出来ているから、そんなすごいと思わない。当たり前。それだけ極めて難しいシステムなんだけども、日本人がなんですごいと思わないかっていうと、生まれながらに当たり前だから。

また、吉濱ツトムさんの師匠でもある精神科医の西脇さんは、写真記憶ができるので映画を見終わった後でも目を閉じて頭の中でもう一度、映画を再生できるそうです。西脇さんは、誰もが出来ると思っていた。しかし学生時代の時に、自分にしかない能力であるということに気づくと話されていました。

才能の本来の真実

天然の超能力者は、誰もがそんなもん持っているものだと思っていた。ある日、第三者から指摘されて「それ特別なんだよ」と言われて、はじめて特殊能力だということに気づく。他にも絶対音感や大量にばら撒いたおじゃみの数が一瞬で分かるアスペルガーの人もいる。特殊なものであるにもかかわらず、特別なもの、特殊なもの、価値が見出せない。ということは、それ以外の一般的な才能、例えば、「聞き上手」や「人前で発表するのが得意」、「絵が上手く描ける」だとか、そういったことに対しては、価値を見出すことが難しくなってくる。でも世間一般においては、才能は価値を見出せるものという認識がある。価値を見出せるもしくは、周りの人は同じ分野の力を持っている人は少ないということが分からないから、その才能を否定してしまって、青い鳥症候群で遠くに見つけに行く。

聞いていて思ったのが、「特殊能力」と「一般的な才能」それを比べてしまうからこそ、余計に自分の才能に気づけなくなるのではないかと思います。特殊能力は、誰にでもそなわっているものではないからこそ、周りから特別視されてしまいます。一般的な才能は、大半の人にそなわっていて特別視されるわけではないが、価値あるものです。でもそこを比較する必要はないのです。冷静に自分自身の才能に耳を傾ければさえ、あとはそこを深めていくだけのことだと理解しました。本当にシンプルなことだと思まいます。複雑に考えて迷走していた自分が恥ずかしいです。

才能があるということ、例えば工作やアクセサリ作りも本当は価値があって、他の人が出来ないにもかかわらず、今の認識(才能の本来の真実)がなければ、そんなもの誰だってできるし、単純にやってないだけだから。自分にはこんな工作の才能があるわけないじゃんっていうことで、それを否定してしまって、苦手なものに突っ込んでしまうといこともある。なので、才能の誤解を解かなければ、才能の発見は出来ませんよっていう話になるということ。だから、その能力の誤解を解く一つとして「価値が見出せない」っていうことがあげられてしまう。

まとめ 

以上で動画は終了です。次回へ進みます。

頭では理解できていても、今まで歩んできた人生において、考え方の癖が染みついてしまっていて、理解が行動にうつせるか難しいところではあると思います。少しずつでもいいから、自分の才能の特徴を探し、その強みを伸展させていけばいいでしょう。なんだかワクワクしてきました。

 

 

 

 

 

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